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にこにゃんさん
お母さんに甘えたかったんですね。甘えたかったんですよね。
心配してもらいたかったんですよね。
大丈夫?だとか、
いなくてさみしいわ、だとか
自分に対する感情をもっともっと欲していたんでしょうね。
そして母親の体温をいたるところに感じられるほど、
胎内にいるような気分をもっともっと子供として
感じたかったのかもしれませんね。
今、お母さんを感じられたこと。
お母さんの愛はにこにゃんさんに伝わっておいでですね。
お母さんもやっと安心できたとニコニコと笑っておいでかもしれません。
「思う」ことは通じますよ。良かったですね。(^^)
障害のお話が出ましたが、
「 生きづらい 」って何でしょうね。
これもまた人によって違うのでしょう。
生まれつき腕や足がない方は生きづらい。
難病や治療困難な病気を患っている方は生きづらい。
発達障害のある方は、生きづらい。
障害と名がつかなくても色々な環境で生きておられる方もいます。
母親や父親の不在の子供もいます。
確かに特有のハンデがあるとは思います。
ではそれ以外の人は生きやすいのでしょうか。
これもわたしには 疑問です。
人はそれぞれ固有のハンデがあるのではないのでしょうか。
表裏一体なのではないでしょうか。
裕福な家庭に育ち、エリートコースをまっしぐら。
こんな過程を歩んできた方が、たとえば解雇されるとする。
「 あんなに優秀だったのに。」と外部からの声。
「 こんなはずじゃなかったのに」と内心の声。
それぞれその人に応じた光と影の部分を併せ持ってるからこそ
唯一の「個」じゃないのかな。
自分が子供の立場だとして、
親から、いわば
ずっとそういう意味で「心配な目」で見られたとしたら、
それが一番、生きづらい。
わたしはそう思うんです。
まぁ、何があってもおかしくないのが人生ですから、
「 あんた、まぁ 人生って こんなものよ。」
と、
「 まぁ、こういうこともあるわよ。」
と。
発達障害があるから、こういうものなのよ、だとか
普通だったら、こういうものなのよ、と
決めつけにかかるのにはとても違和感がありまして。
「普通」を望む人が多くいてもおかしくないですし、
「特別」を望むのもまた良いとも思います。
コミュニケーション能力が欠けていてもおかしくないですし、
それはいわゆる普通でも全然存在しますし。
指導の仕方を学びたいのならまっしぐらにがんばってみてもいいですし。
一生アルバイトで繋いで生きてやるんだ!って子供がいてもよいですし、
お金もちになって会社の社長になるために今、必死に勉強したいんだって子が
いてもよいですし。
ただただ、自分の人生の設計を親が真上から観ていると承知の上での
人生の線上に、その子自身がいるならば、そのお子さんを気の毒に思います。
「療育」で育児や子どもとの接し方がわかりやすくて
たすかったって方もいらっしゃるでしょうし、
自分なりの寄り添い方で、その子の姿、心をありのまま受け止め、
その子らしさを認めて向き合う方も方法ですし。
リファーさんが、本当にそのまま書かれてますが、
そこのところを、突き抜けて欲しいと願ってます。
先ほどご紹介の記事にもその子のお母様が書かれておいでですよね。
「 うちの娘はどんなに頑張っても男にはなれない。でも 近づくことはできる。」と。
泣けました。近づくことができる。素晴らしい表現です。
<姿かたちではなく 素晴らしく綺麗な魂を感じながら
同感ですね・・・
人の生きざまをみて、人間模様を見て、一緒に体感しながら
学んでいくことができますね。
近づきましょうよ。それぞれの愛しい「個」が
そこに存在してますから。
それはわかってるの。そういうことではないんだけども、って
ごにょごごにょ感じてるあなた。^^
どちらにしても人間ほど不完全な生き物はいませんから。(−−)
結構、「 しあわせ 」なのですよ〜。
いまだって、ほら、
掲示板覗けてますから。(^^)
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